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認知症に余命宣告?人の生命は誰にも決められない

森の中の闇介護

認知症リハビリテーション治療院に通院する認知症の人が、病院で余命あと5年との宣告を受け、その家族から相談を受けた・・・という内容の動画を発信していました。

認知症の人に余命あと何年って断定できるものなのかと、その話を聴き疑問を感じました。

何を根拠に余命を断言できるのだろうか医学的根拠はあるのか調べてみました。

認知症に余命宣告?そもそも余命の基準って何

認知症の人が、病院で余命宣告をされたという内容の動画を観て、余命について調べ考えてみました。

動画はこちら「認知症で余命宣告。しかもあと5年って…」

余命宣告とは治療を行うことが難しくなった状態になる時にされるとあります。

治療の施しいようがなくその人が、どれくらい生きることができるのか、という意味に捉えられますね。

余命はどのような基準で決まるのか。

がんの場合、余命は生存期間の中央値を取っているのだそうです。

この場合の生存期間とは、その病気の集団において50%の患者が亡くなるまでの期間のことです。

例えば100人のがん患者がいて、50人目が亡くなった時点をその病気の生存期間の中央値です。

それがその病気に罹った患者の余命と言われます。

全体のうちの半数の患者が亡くなるまでの時期であり、患者100人の平均余命ではないとのことです。

その基準も本当に適切なのか、どういう根拠で作られたのかという説明もなく曖昧な基準です。

例え余命が1年だとしても、それ以上生きる人もいるということです。

余命宣告されても、生きる年数は人によるっていうことですよね。

わたしのような医療の雑魚な素人には、余命宣告はあてにならないのではと思います。

認知症に余命宣告?余命宣告は科学的根拠が乏しい

データを示している画面のタブレットの写真
データを示している画面のタブレットの写真

医者が言う余命とは、科学的根拠に乏しく経験や主観に頼ったものが多いとも言われています。

結局、医者の威厳を示したいだけなんですよね。

余命宣告が、その病気の生存期間の中央値なんだといわれても、一般人にはよく理解できないのが本音です。

そもそも人の命をあたかも食品の消費期限のように言っていることが不可解です。

余命などと煽るのは医学界の印象操作でしかなく、儲けたいだけのことです。

と偏った捉え方をしてもいけないような気もしますが。

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曖昧な基準の余命宣告なんてものに振り回されたくないですね。

そもそも、余命を考えて生命をカウントダウンする野生動物はいるでしょうか。

人間も野生動物と同じ生物です。

変な知恵があるばかりに、余命宣告なんてことを考えるのです。

じゃあ余命宣告ってなんのためにされるのですか?

患者本人や家族の心の準備、後悔のない人生を生きるため、いろいろな意味も含まれると思うので否定はしません。

この動画で話されているご家族が、明らかにリハビリをして良くなる方向に行ける、行きたいという希望があるのなら、たとえ余命宣告されても、自らの行きたい方向へ進んでいってほしいですね。


なぜなら、自らの命は自らの意志により決まります。

また、家族の支えは本人の生きる勇気にななります。

認知症に余命宣告?人の命は誰にも決められませんよね。

END

最後までこの記事をご覧いただき、ありがとうございます。

またお会いしましょう。

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