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認知症には症状が表れる前兆が必ずある

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母の認知症の兆しは硬膜化血腫の手術前からありました。

硬膜化血腫の手術をしたのをきっかけに認知症状が更に表面化していきました。

手術前からの母の変化にわたしは不安を感じながらも、真剣に向き合わず逃げてたと思います。

家族や回りの人がちょっとした変化に気づき、問題に対して逃げずに向き合えば、認知症の症状を最小限に抑えることができます。

認知症が進んでいった前兆・硬膜化血腫手術

母は硬膜血腫の手術をきっかけに、認知症症状が更に出始めました。

2017年12月7日(木)母がトイレへ行こうとした時、突然歩行困難になり、四つん這いにならなければトイレへ行くことができず、母と同居している家族はパニック状態になりました。

そんな中、家族は冷静に対応し救急車を呼び、母を病院へ連れて行ってくれました。

診断の結果は、外傷性硬膜化血腫でした。

頭蓋骨の下にある三層の髄膜のうちの硬膜という膜と脳の間で出血し、血液が溜まり脳を強く圧迫する病気です。

そのため緊急手術を要するというこになり、翌日の12月8日(金)午後2時手術は行われました。

頭部の外科手術ということで家族一同に緊張と不安に襲われます。

一番母が緊張し不安に感じてるはずなのに、いつものように穏やかにニコニコしている母を見て見守る家族の方が安心させられます。

手術後1週間の入院を経て、思っていたよりも早く退院することができました。

認知症が進んでいった前兆・硬膜化血腫再入院

外傷性硬膜血腫の手術後、経過を見ていましたが、翌年2018年2月中旬、CTを撮った結果、少し悪くなっているとのことで、薬による治療をすることになりました。

その後、検査をした結果、2018年2月22日(金)再入院し、薬による治療で経過を見ることになりました。担当の医師には、最悪の場合、再手術をすることになると告げられました。

担当の医師はなるべく再手術は避けたいと、また看護師には、再手術するとリスクは高くなると、意味深なことを言われ、家族に不安を煽るようなことを平気で言うのです。

看護師のことを白衣の天使なんて言う、アレは嘘だと思った瞬間だった。

その後も、説明不足であるばかりに知識がないなと思うようなことを、看護師から聴かされ家族は不安になります。

それは看護師のせいではなく、無知なのは自分であるということを知らされましたね。

自らの介護体験談を語ります

認知症が進んでいった前兆・硬膜化血腫再手術


薬による治療で、良くなるようにという想いは届かず、2018年2月28日午後1時30分、再手術が行われる。

手術後、担当医師が話すには、「奥の奥の方に辿っていくと血液の塊があって、そこを目掛けてプシュとすると、悪い血が一気に出てきた」との表現をされていた。

つまり、かなり難しい手術だったという印象を受けた。

手術後、ベットで寝ているとき、幻覚でも見ているのか誰かを相手にわけの分らないことを、喋っていたそうだ。

それはせん妄という症状だから診てもらうといいと、その日付き添っていた家族が、看護師に言われたとのことだ。

せん妄という言葉を聞いたのは初めてでした。

せん妄ってどんな病気なのか、認知症の症状なのかまたひとつ不安が付いてきます。

せん妄は、手術後に起こることがあるということを、後々になって知ることになりました。

初めて聞いた時は、無知のため怖さに襲われる思いをしました。

いやその前に「その症状は手術後に起こることがあるのですよ」と一言情報を提供してくれたら、不安に襲われるのも半減するというものでしょ。

残念ながら、その看護師にせん妄は知識はなかったのかも知れません。

手術後、頭に管を付けて脳に残っている悪い血を出す。

CTの結果、残っていた血を半分以上出せて脳にシワも見られるとのことです。

この頃から、母と話が嚙み合わなかったり、看護師から検査をすると言われたのに、退院と勘違いしたり認知症ではないかと家族の間で不安の空気が出始めていました。

認知症症の前兆からさらに認知症が表面化

認知症症状が表面化

硬膜化血腫の再手術後、母と話が嚙み合わなかったり、看護師から検査をすると言われたのに、退院と勘違いしたり、認知症症状が徐々に、散見され家族の間で、心配の空気が出始めていた。

硬膜化血腫は手術後、一時的に認知症の症状が出るが、認知症状は回復するとの情報があり、いつか症状は戻ると過信していた部分は否めません。

徹底して調べるとか行動することもなく、そもそも医師に、看護師に、病院に、依存していたということでこういう結果になったのです。

前回退院した時に母のことで担当の医師に聞いた。

「手術後、簡単な計算が出来なかったり、時計が読めなかったり、家族の誕生日も忘れていたりするのですが、脳ドリルなどで、リハビリするのが良いのですか?」

医師は「日常生活が出来ることが、一番のリハビリになる。」との回答でした。

家族は認知症ではないかと、疑っていましたが、わたしは医師のことを信じ切っていました。

日常生活は出来るものの、認知機能は徐々に低下の一途をたどって行きました。

改めて振り返ることで全体像が見えてくるとは、何とも皮肉で自分の考えが浅いことに今更ながら思います。

当時、「日常生活をするのが一番のリハビリだ。」と医師から言われたけど、今考えると医学的に専門家らしい答えになっていないなと後になって分かります。

母は認知症を患いながら、硬膜血腫になり手術をきっかけに認知症症状が、徐々に表面化していったということです。

硬膜化血腫手術前からあった認知症の前兆は

花束を抱えた笑顔の老人
花束を抱えた笑顔の老人

2017年、硬膜血腫を発症したその年の夏、母は家の近くに定期的に来ている、移動図書カーへ自転車に乗り借りた本を返しに行きました。

いつもなら歩いて行くのに、その日は自転車に乗って行ったらしいく、その帰り道で転倒した。

その時に、頭を打ったと考えられます。

後で考えるともう認知症は、始まっていたのだろうと思います。

前年の2016年年末に帰った時、正月料理のために作った煮物に皮の剥かれていないまま、調理された里芋がありました。

「お母さんどうしたんだ?!」

その時に嫌な予感をしていたけど、ちょっと間違っただけだと、そのことから逃げるような気持ちで、見過ごしました。

煮物が入った鍋の中をみながら、「お母さん、里芋の皮、剥いてないよ・・・」と言った時、母の雰囲気からなにか重たい空気を感じ取りました。

あの時、一番おかしいなと動揺したのは、母本人だったに違いありません・・・

母のことをおかしいなと感じた時、なぜそのようなことになったのかを考えず逃げていました。

介護体験・認知症の人の介護の大変さを痛感

認知症の前兆から認知症へと認知機能は低下の一途をたどる

硬膜血腫の再手術後、母の認知症が徐々に散見されるようになりました。

調べると「硬膜血腫の術後、一時的に認知症状が出るが、殆ど回復する」との情報を見て安易に大丈夫だろうと思っていました。

手術後、担当の医師に退院時に脳の機能を回復させるには、脳トレなどするのがいいのでしょうか?
と聞くも普段の生活をすることが一番のリハビリだとの回答でした。

「認知症状はあるけど、それは術後の副作用で脳トレをやっていれば脳は活性化させれて回復できる。」と勝手に思い込んでいました。

医師の言うように日常生活ができれば回復できるんだ。

それだけで回復するどころか認知機能は徐々に低下の一途をたどっていきました。

硬膜化血腫手術後、認知症状の悪化は喰い止められなかったのか

外科手術をする医者の写真
外科手術をする医者の写真

硬膜血腫の手術後の経過を診てもらうため受診した際、家族は「母の認知症状が出ているのだが診てもらえないか」と看護師に訊ねました。

「脳外科では診ることができない、物忘れ外来というのがあるからそこで診てもらって」と言われます。

手術を担当した医者に認知機能低下があることで相談した時、「日常生活をすることがリハビリになる」と言ったが、それは絵にかいた餅のように意味がなく認知機能は低下していきました。

もっと有効な方法はなかったのか、”手術後のリスクで認知症症状が出ることがある”ということを知りながら説明をされなかったのかと医者への疑問が拭えません。

手術の腕はすごいというのは感じていましたが、術後の説明不足に不信感だけが残ったままです。

認知症になりやすい人の生き方

認知症になる前の前兆に気づき向き合うことが大事

里芋の皮がむかれていなかったこと、硬膜血腫の手術後に徐々に見られるようになった認知症症状は、一時的な副作用で回復すると認知症に向き合わず逃げていました。

このような母の一連の出来事だけに限らず、今まで何でも自分の都合のいいようにいろんな問題から逃げいました。

高齢者の親を抱える問題とか介護とか、もし親が倒れたらどうするか、自分はどういう道を選んで生きるべきかとか、親が高齢者と言われ始める時期から考えておくべき課題だと思います。

病院に任せればいいとか、何かあったら介護施設を利用すれば手っ取り早く楽です。

しかし、果たしてそれは人間らしい行為でしょうか?

高齢者と言われ始まる時期から、高齢者を親に持つ世代は、考えておくべき問題について考え同世代の人と共有していくことが大事です。

親を守りたいと思っている人は問題に直面する前に予め考えておく課題と言えます。

END

最後までこの記事を、ご覧いただきありがとうございました。

またお会いしましょう。

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